昭和四十七年 二月七日 朝の御理解


X御理解第八十一節 「氏子十里の坂を九里半登っても、安心してはならぬぞ。十里を登り切って向こうへ降りたら、それで安心じゃ。気を緩めると、すぐに後へもどるぞ」


 信心はおかげを受けなければならないから信心しているという信心では、必ず油断が出来ると思うですね。おかげを受けなければならんからお参りをしておる、修行をしておる、信心をしておるというのでしたら、必ず人間のことですから、油断が出来ます。まあそういう信心から入らせて頂きましたにしても、段々信心が分からなければならん。
 おかげを頂いて、昨日を以て寒修行が終わらせて頂いた。皆さん一生懸命寒修行に取り組まれた。そして一ヵ月間言わば普通の信心ではない、少しそれぞれ自分の心の上でも工夫をされましたり、また形の上でも修行中はといったような、そこに毅然としたものを何かと工夫なさって、それぞれに工夫なさって、まあ修行なさいました。そういう修行をした人程、例えば収穫というか、それはやはり大きい。本当に今度の寒修行でこういうことを分からせて頂きました。こういうことを体験いたしましたというわけですね。
 私は、寒修行の値打ちというのは、修行そのものの有難さ、修行がこんなにも尊いものであると体験させてもらう。そこから私は信心は有難いもの、楽しいものということになってくる。修行が、信心がきついものだ、辛いものだと。成程修行ですからそうですけれども、そのことが楽しゅうなる、そのことが有難うなるということになったら、どういうことになるでしょうかね。油断せよと言うても油断出来ませんよね。やはり私はここんところまで信心を進めて行かなきゃいかんと思う。油断しようにも油断のしようがない、楽しゅうなってくる修行が。
 今朝からお道の新聞が来とります。一寸見出しだけしか見とりませんでしたけど、四条教会といいますから京都じゃないでしょうかね。「師あり道あり」というのが出ておりますが、お徳の高いようなお婆さんのお写真がここに出ておりますが、この方が教会長らしいです。それに、「信心の苦労を求めてきました」という見出しがついております。まだ私は内容は読んでおりません。もうそれこそ何十年の御信心でありましょう。しかも教会の写真が出ておりますが、立派な教会です。もう恐らくこのお写真の模様から見て、八十近いお婆さまじゃなかろうかと思います。

 それが何十年間の信心をです、「苦労してきました」でなくて、「苦労を求めてきました」と。素晴らしいことだと思うですね。信心のいわゆる修行を求めて参りましたということなのです。成程お徳を受けるはずだなと思います。信心の苦労、信心の修行をもうこちらから求めなければおられないものなのです。
 これは私が、まだ十四、五の時分だったと記憶しとるけれども、忘れられないお話があります。ある時、夜の御祈念に参拝させて頂いた時に、親先生がやっぱり新聞を読んで下さった。それがですね、ああ信心ちゃ尊いもんだなあと感じたんでしょう、今にそれが忘れられんのですから。
 どこの教会、どこの先生とは記憶にも何にもありませんけど、胸の病気が悪くて、まあ医者にも見離されて、信心によって助かられた。そこで道の教師を志せと親先生に言われて、学院に行かれて教師の資格を取って、それから教会修行、それから布教ということになった。
 ところが、一年経っても二年経っても道が開けない。それはもう傍から見ておられない難儀魂魄の様子をです、田舎のお兄さんにあたられる方が、ある時参って来てね、もう兄弟として見ておられないわけですね。修行がです、食うや食わずということでしょう。この辺で言ったら、しておられる姿を見て、あんたにね、信心は止めろとは言わん、広大なおかげをあんた自身受けたんだから。けれどもね、一応ね、田舎の方へ引き上げて帰ってこないかと。山もあれば畑もある。田地田畑あんたの分け前があるのだから、それも分けてもやろうから、しばらく家に帰って、百姓でもしてもらって、そしてまた志を新たにしたらどうかということを、弟さんに当たります先生に話されます。
 わざわざ田舎から出てきて、聞いておられたその先生が、「本当に兄さん、ご親切は身に染みて有難いけれども、お兄さん近ごろ私は信心の苦労をもちっとしてみたいと思います」と、そう言わんしゃった。そこのところがこびりついとるです今に、信心ちゃそんなもんだろうかと、尊いもんだなあと。
 皆苦労したくない、苦労したくない、楽になりたい、楽になりたいと言うて、言うなら信心しておる、働いてもおるのに、「お兄さん、この頃私は信心の苦労がね楽しゅうなった、有難うなった。もちっと苦労がしてみたいという気がします」と言う。「もうそれ程しにあんたが思うとるなら、私が何と言おうか」と言うて帰られたと言う話である。
 どうでしょうか。信心の苦労がもちっとしてみたい。そこにはとても油断も隙もあるはずはありませんよね。それは人間生身を持っておりますから、油断か隙か出来んことはありませんよね厳密に申しますと。けれどもそういう行き方、そういう在り方が身に付いた時です、私は信心がもう大丈夫だという気が致しますね。
 私は合楽の皆さんの場合、さあ寒中修行が終わったからスパッとお参りを止めてしまうのでなくて、やっぱり寒中修行と同じように皆さんこうやって沢山お参りしておられるということ、その参拝の言うならその修行のです、焦点がね、今度の寒中修行によって分からせて頂いた。

 例えば昨日、椛目の宮崎さんのお届けじゃないですけど、「親先生、この度の寒中修行には本当におかげを頂きました」と。「もうとにかく信心はおかげではないことが分かりました」と。一生一代の重大事として開眼が出来た。「本当に合楽にご縁を頂いておったことが有難い」と。「この一月間にそれを分からせてもらった」と。「もう今度の寒中修行の第一人者ばいあんたは」と言うてから申しましたことでした。「一番のおかげの頂き頭だ」と言うてから。
 昨日、平田会長のお話を聞いてから、なおその感を強うされた。平田会長の説かれるところの、もう金光教でなからねば助からんということ。本当に○○教でなかくて良かった。本当に平田会長が言われるように、「金光教でなからんと助からん」いわゆる私が言う、そういう意味において、宗教改革がなされなければならんと。そういう尊い道を合楽では教えて頂いておるということ。
 それが勿論おかげを受けなければならんから、朝は夫婦で、今度子供が高校に行きます。泉君の親子三人の毎朝お参りする寒中修行、おかげ頂かんならん。どうでも高校のおかげ頂かんならん、親心です。そうしてお参りしよるうちにです、一月間の間にそういう尊いことが判ったと。それこそね、涙ボロボロ流しながらお礼を言うとられるのを聞いてです、私はああ有難いなあと思うです。
 だから金光教でなからにゃ助からない。金光教にご縁を頂き、合楽にご縁を頂くことが有難い、もうそこにはご利益を受けるからとか受けないからということは問題でないということ。人間の重大事であるそれはですね、金光教に求めておったということが、平田さんのお話を頂いて、金光教でなからんと助からんと。
 私が言う宗教革命がなされなければ人間氏子の助かりは、真の助かりはありえないんだという、それやらこれやらを一つに心の中に頂いてです。ようも金光教の信心にご縁を頂いておったこと、合楽で修行させて頂いていることが有難いとそこが判った。
 ですから、もうこれは育てなければおられんのですその信心は。昨日の朝の御理解で皆さんに聞いて頂いたように、御心眼に頂くのがサイコロでした。そのサイコロのもう角がとれた、角がとれてあんまり使うて丸くなっとる、やや真四角ですけどね、サイコロは。サイコロのことですから、真丸うはないけれども、とにかく角がとれているという。
 そこで例えば、信心というのはもう本当にその時勝負なんだ、どういう目が出るか分からないけれども、うれしいことが出るか、腹の立つことが出るか、どんなことが出るか分からんのだけれど、その出たところ、そこを起点として、それを有難く、それを勿体なく、または相済みませんと言ったような内容を持って。受けさせて頂く以外にないのだと。
 それを繰り返し繰り返し続けて行くうちにです、それを繰り返し繰り返し体験して行くうちに、角のとれてくる。今日はそのサイコロをまた頂きましてね、それが小さくなっていってるところを頂きました。ははあ信心とはこれだなあと。恐らくこれはなくなってしまう程に丸い。だから、和賀心というのはどういうことかというと、丸い心と申しますけ
ど、その丸いものもなくなってしまった姿が和賀心なのです。私は改めて大発見したような気が致します。言うならばどういうことかと言うと、我情がとれ、我欲がとれるということ、毎日毎日お互いが信心の稽古。
 私はまだある若い方ですけど、家庭の上で、「あんたどん兄弟でどうしてそんなに仲が悪かの」と言う人があるのです。私は不思議でたまらん。「しかもあんたどんくらい信心させて頂きながらどうしたことな」と言うごと、毎日それが悩みである。毎日参ってくる。
 それで私はその方に昨日申しました。「私はどうしてだろうかと今まであなた方に言うのですが、ああこう言いよったけど、これは○○さん、そのことによってあんたどんは仲が悪いのではなくて、そのことによってあんたの我情我欲が取れて行きよると言う稽古をさせて頂いておるのですよ」と。いわゆるそのことによって信心の稽古をしておるということ、信心の稽古がしたい、分かりたいと言いよるです。
 「だからそれは仲が悪いのじゃない、妹が悪いのじゃない、そのことを通して、そのことによって信心の稽古をさせて頂きよるとばい」と、「はあ分かっとってどうしてそこが分からなかったじゃろうか」と言うて昨日はにこにこ笑って帰りました。
 只叩いてでも言うて聞かせようかと思うたけど、そのことによって弟が悪いのじゃない、妹が悪いのじゃない、そのことを以て信心の稽古をさせて頂いておるんだ。ああ本当にそうでしたねとこういうことなんです。出たとこ勝負なんです。その時点をです、いかに有難く受けるか、勿体ないとして受けるか、御事柄として受けるか、そのなぜ受けなければならぬかということを日頃あらゆる角度から、御事柄であることをね、基にして御用を頂いておるのです。
 和賀心というのは、そういうことを繰り返し繰り返しさせて頂いて、出たとこ勝負、賽の目が段々に角が取れて、しかも今日私が頂きましたのは、段々小さくなって行っておる。それがなくなって行く、もう出たとこ勝負も何もない、もう言うならば何もなくなることです。和賀心、これが最高至高のものです、ということなのです。こうなって参りますと、もう油断も何も出来ない。油断はせんで済むことになって参ります。そういう状態を、いわゆる向こうへ降りたら安心じゃということではなかろうか。【】し切ったところに信心というものは難しいもんだ。そういうもんだと割り切ったところが、向こうへ降り切ったところである。そこにいわゆる安心がある、我情がない、我欲がない。勿論不平もなからなければ不足もない。
 私は昨日、お昼過ぎから、家内と愛子を連れて、昨日「百万両」の美容室の石川さんところのお母さんが、九州切っての名手ですもんね、お琴の先生です。それが六十周年の記念公演の演奏会です。招待券を、「先生にぜひお出で頂きたい」と言うて見えておられました。それは生田流正派と言うのですが、正派の六十周年というので、家元が親子で見えておりました。それはそれは私はとにかく、子供たちの結婚式等で大変お世話になっておりましたから、贈り物を何かさせて頂いて、お祝いですからね、すぐ帰ってくるつもりで
した。
 それで昼からでした、十二時からでしたので、あちらに着いたのは、もう大分あっておりましたから、一時半から二時くらいになっておりましたでしょう、ほんにどうして早よう来んじゃったろうかと私は思いました。もう感動のし続けでした。何と言いますかね、日本の名手が、名演奏家の方達ばかりの集まりですからね。
 石川先生の久留米のお弟子さん、久留米の原口さんなんかもお弟子さんだそうです。見えておりましたが、本当に私は感動のし続けでおりましたが、とりわけ目の見えない人たちが沢山見えておられましたが、何々検校というですか、そう言われている人たちですねきっと。
 もう無心に三味線を弾いておられる。琴を弾いておられる。三味線と言うても地唄です。琴と合奏する。もう本当に弾いておられるのを見てから、本当に鳴咽するくらいでした。もうそれこそ目が見えなさらんですから、どのくらい聞き手が来ておるのか見えておるのか分からないでしょう。それに琴を弾いておられる、三味線を弾いておられるのが、もう何かうれしゅうして楽しゅうしておられんという感じですね。座頭さん独特の表現ですよ。もうそれを見よりました。
 私は今日を境に、私の信心が一段と進められたような気がしました。その位感動しました。そしておかげの世界を見てはならないなあと思いました。いわゆる、宮崎さんがおっしゃった「もうご利益は問題じゃありません」ということです。只その検校達の上にはもう音の世界だけしかないのです。いわゆるリズムの世界だけに生き抜いて来た人たちです。
 自分の奏でるいわゆる琴やら三味線をもうそれこそ人に聞かせるよりもう自分の方が聞き取られているという姿なのです。もう本当に惜しみなく拍手せにゃおられない。思わず知らず、そして教祖様がおっしゃるように、「信心する者は肉眼をおいて心眼を開けよ」ということはああこのことだと思いました。肉眼というものはもう見る世界というものはないのです、その方たちには。只あるものは音の世界、リズムの世界なのです。
 そして自分の掻き鳴らす琴・三味線に聞き取れられておられるように見える。成程あの音に聞き惚れられておる。あの姿に触れて、成程あの音色を求めて何十年間苦労を求めてこられたことでしょうが、これからとてもやはりそれが続けられることであろうと、もう油断も隙も起きるということはまずないだろうと思う。
 今日のご理解で言うなら、信心というものは確かに私共はおかげの世界と見過ぎる。あまりに肉眼を以て見過ぎる。どうして弟がこげん言うこと聞かんじゃろうか、どうしてこげん妹が言うこと聞かんじゃろうか。これが肉眼の世界であった。けれども、これを通して信心の世界を稽古をさせて頂いておるんだというところに気が付かせて頂く時には、もう微かに心の眼が開けてきたのである。
 そうして成程弟が言うこと聞かんのは、妹が言うこと聞かんのはこういうことにあったんだと分かった時、初めて肉眼から心眼が開けたことになるのです。どんなに一生懸命の
信心修行が出来ましても、そこにはここにどうでんおかげ頂かんならんけんということには、もうそれが焦点であったとするならば、もうそれこそ九里半登ったら、もうそれこそやれやれで安心致しましょう。
 例えて言うならば、一千万なら一千万の貯金したいために一生懸命お参りした。おかげで八百万貯まった。もう九百万、もう九百五十万、もうあとわずかでと、もう九百五十万になったら必ず油断が出るでしょうね。そのことだけが焦点であったとするなら。けれども、成程そういうところに願いを持っておるけれども、一生懸命精進させて頂いとるうちにです、肉眼を置いて心眼が開けてくる。
 いやそのことを通して信心の稽古をさせて頂くんだ、成程親先生がおっしゃるように賽の目を振るような信心であった。もう出たとこ勝負、自分が五が良いと言うて五が出たから有難いのじゃない。五が出ろうが、六が出ろうが、三が出ろうが、その時点でそれを有難く、または勿体なく、または相済みませんで受けて行くという以外にはないのだということをです、体得させて頂けれる信心、お互いがそこまでの信心の本流というか、それこそ正派です。
 だから正派金光教と言えるのじゃないでしょうかね。おかげおかげ、御利益御利益、ああ御用すりゃ助かると、ただそういうような意味合いで金光教を頂いておられるとするならば、これは正派ではないです。正派金光流は、私が申しますように、確かに信心する者は肉眼を置いて心眼を開かしてもろうて、神意の何たるかを分からせてもらい、悟らせてもらい、そしておかげじゃない、形じゃない、自分の中に有難い勿体ないが育つ、そのことだけが楽しい。その自分の心の中に、我とわが心を拝ましてもらうところに、有難いとこれを育てて【】以外にないのです。
 信心は正派の金光教を身に付けたい。そして向こうへ降りるまでのおかげ、言うならば私が安心するのではない、神様がもうこの氏子は大丈夫だと安心して下さる程しの信心を身に付けて行きたい。和賀心の至高のもの、最高のもの、それは我情我欲を取った姿がそのまま和賀心である。
 それを私共一日に何十回となしにそのサイコロを振っているわけです。そして様々の事柄がです、言うなら悲喜こもごものことが起きてくるでしょうけれども、その時点時点を有難く受けて行く稽古、いわゆる信心の稽古をそのことを以てさして下さるんだと思わせて頂いて、稽古して行くなら、そこから信心の楽しみ、信心の喜び、信心がいよいよ尊い、有難いものになってくるというところに至った時になった時、私共はもう油断をすなと言われても、油断されないということになります。
 それにはこの四条教会長先生がおっしゃっとられますように、信心の苦労をしてきましたでなくて、「信心の苦労を求めてきました」と言うておられる。それこそ、この頃兄さんもちっと信心の苦労をしてみたいと心の状態ですと、そのことが合点が行くだろうと思います。そういうおかげを頂きたい。
 これはもう何の道だって同じです。これはもう何の道だって、特に芸能関係の人たちが
言っておられる、もう踊りなら踊りの道、琴の道なら琴の道、もうこれは私共は一生が修行と言われると思うです。限りがないのですから。これはだから信心においておやであります。それは只芸が身に付いて行くというのでなくて、いわゆるお徳が身に付いて行くということですから、宮崎さんではないけれども、人生の重大事、本当に私共はこの世の生を受けておる間に、本気で昨日の御理解を借りると、光を求めての信心生活、徳を受けて行くことの楽しみ、喜びを以て、信心の稽古の焦点にせなければならんと思います。どうぞ。